女性主人公 犯罪を起こす 作品を紹介

最後は

原作と映画でやはり違う

横領をしていることに一片足りとも罪の意識を感じていない梨花は、ある意味無敵でした。それこそ自分の快楽、ただ一言お礼を言ってくれるだけで全てOKだったのです。光太を助けたにしても何にしても、自分を頼って助けたという結果が伴っていれば例え彼から愛情が得られなくても良かった。他の顧客たちにしてもお金を着服する以前より一言お礼を言われるだけで、仕事を満足にこなしていきます。その中で光太の祖父である平林孝三からのセクハラを受けそうになるなどの被害もあったが、それでも頑張ってこれた。

お金を盗むということに快楽を覚えているのではなく、その盗んだお金で誰を助けられたかという一点に絞られています。学生時代に行われた募金活動は、本当に善意あるものだった。梨花にしてもこの時から自分が救ったという結果を求めていたのでしょう。言ってしまえば、これも人が持つ『信念』というべき業なのかもしれません。梨花はそれがお金を介しての善意に繋がるのなら何だってする、そう断言できる。

そんな彼女の行動は止まることを知らず、中でも過激だったのが原作のほうだ。ここでも違いが少しあるので、おおまかにその点をピックアップして見てみよう。

原作と映画、結末の違い

原作

原作においては光太と別れた後も、ただただずっと横領を続けていったのです。誰のためでもなく、自分がこれまでしてきたことの積み重ねによってもう後戻り出来なくなっていたのだ。それならば行けるところまで行けばいいと、光太が側にいる際はまだ我慢できたが、それも擦り切れていきます。段々と自分のしていることがなんと愚かなことなのか、それを自覚する度に心の中で梨花は叫んだのです、『誰かこんな犯罪行為をしている私を見つけて』と。

すると会社からボーナス名目で休暇を貰った梨花、しかし別の支店で不正が見つかり一斉調査をすることを知った彼女は覚悟を決める。偽造文書を作っていた現場を全て処分し、旅行という名目でタイまで出かけるとそのまま異国の地に残り続ける選択肢を選んだのだ。誰も救われない、逃げ道としての選択肢にただただ1人呆然と立ち尽くすしかなかった。

映画

映画で梨花の不正が明らかになったのは事務員として梨花の先輩として働いていたベテランの事務員であるより子の調査によるものだった。彼女に丁度支店から本部への異動という栄転といえる道筋ながら、残していく後輩たちと新人に任せるのは無理だと言って話を断ろうとします。さすがに話の大きさが大きさだけに無下にはしてほしくないという態度に、より子はここ半期に渡ってのミスを調べ上げて提出すると、どうあっても異動する気はないとする確固たる意志を見せます。

そこでより子は明らかにおかしいと思える不備を何件も見つけた。判子こそ別人ですが、犯人が梨花だという核心めいた何かをもって報告します。そこで最初の呼び出しを行いますが、上司の弱みを握っていた梨花の脅迫に屈してしまうものの、より子の後押しでついに支店長まで出てきた。これが何を意味しているか、完全に逃げきれないことを意味していたのです。より子の本格的な調査により数えきれない不正の数、それらを確認して梨花に横領した分を負担するようにといっても支店長や上司が予想していなかった以上の巨額に達していると知ることになる。

支店長たちが席を外した後、梨花は惨めと自身を卑下し、より子は彼女に好きなように生きただけだろうと言い放ちます。この時より子は、自分が何も目的を持たずに生きているのに梨花のように巨額の横領をしている方が人生を謳歌していると見えたという。

人からすればそう見えるかもしれません、しかし原作にしても映画にしてもここでも梨花の異質さは浮かんでいる。

原作・映画の共通点

横領をしていた梨花、それは光太と別れた後でも必要なこととしてやっていたのです。もう引き返せなかったのが大きな理由になるでしょう、しかしそれ以上にこの頃の横領はもう彼女自身の保身に繋がっていたのかもしれません。映画ではそうした部分まで表現されていないが、原作では横領しなければならない苦しみから、見つけてくれという嘆きの声を上げているほどにだ。

梨花にとって横領は誰かから感謝するために起こした行動、犯罪としての罪悪感など微塵も持たないが、虚しさだけに横領するでは本末転倒というところなのでしょう。

終幕へ

梨花のように犯罪と縁のない人、素質こそあれど衝動的に起こして1億単位もの金を横領したという事件は何も珍しい話ではありません。過去、女性銀行員が梨花など比べ物にならない額の横領をしていたと言われる事件もあったりするので、縁通りから犯罪しなさそうという見方は一概には出来ない。それこそ梨花のように罪を罪と認識していない可能性の方が高そうだ。